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不運な脇役も悪くない

ズンドコ玄海丸

 汗で肌に貼りつくシャツの感覚が不快で目が覚めた。朧げな頭で今の状況を考える。どうやらうつ伏せの体勢でいるようで眼前には見慣れたシーツ、嗅ぎ慣れた部屋の匂い。分かった、ここは紛れもない、俺の部屋だ。

 成績優秀なヘッドワーガーのしごき——もとい愛の鞭を存分に受けて臨んだ試験もようやく終わりを告げ、お疲れ様会と称したいつもの飲み会へと繰り出し酒を存分に煽った。飲んだ分きっと必死をこいて勉強した分は押し出されてしまっただろうがそんなことを気にしては酒がまずい。お開きのタイミングを見計ったようにコングがアーティットを迎えに来たのは覚えているが、そこからはどうやって家に帰ってきたかは至って不明である。まあ大方いつも飲みの席で酔わないノットが送ってくれたんだろう——いや、俺たちがいつも飲みまくっては潰れるから、きっと飲む量をセーブしてくれているのだろう。心の中で彼に深く深くワイをした。

「……喉渇いたな」

 俺のもの以外何もない空間で独り言ちても、もちろん甲斐甲斐しく飲み物を持ってきてくれるような奴もいないわけで。アーティットと違って俺は寂しい男だと思わずため息が出る。

 二日酔いの予感を少し滲ませる重い身体を起こし、伸びをするとパキパキと小気味良い音が背中や肩の辺りから聞こえた。

 何度も痛い目を見てきたおかげで二日酔いになりにくい対処法は分かっている。まずはすぐ寝ずに水分をしっかり摂ること——これはまあもう手遅れだがとりあえず起きられたので良し。次に酔い止め薬を酒を飲む前と飲む後に摂取する、これが一番重要だ。俺はそんなに酷く酔わないと意地を張ってこれをサボった結果、どれだけ翌日に響くか身を持って知った。受け入れるまでに三度はかかったけれど。

 というわけで家でとりあえず先に水を流し込み、残るは酔い止め薬を飲むだけだが、

「忘れてた」

 つい割と大きめな声が反射的に出た。寮の壁は厚いわけではないので隣人に聞こえてしまったかもしれない。夜遅くに失礼しました。

 この薬は十錠入っていて、過去二回で八錠を消費したので残り二錠。それを今日飲んだので無くなってしまったことを確認したのだが、行き道の薬局ですっかり買うのを忘れていた。急いで全身のポケットを探るも記憶のない帰り道で買っているはずもなく、これまたさっきよりかなり大きなため息が出た。ただの想像の落胆よりも実害のある方がもちろんダメージは大きく、酔いにじりじりと侵されている身体が一気に重くなっていく。

 大変面倒ではあるが、ここで薬を飲むのを怠ってはまた内臓をぐちゃぐちゃに泡立て器でかき混ぜられているような嫌な浮遊感に悩まされること請け合いだ。

「行くか〜……」

 ここで動かなければ明日はない、と自分に言い聞かせるように呟いた。

 持ち物は財布と携帯、あと鍵だけでいい。財布をそのままジーンズの尻ポケットに突っ込んで、ふらつく足でスニーカーを履く。踵が潰れてしまったがもうそれを直すのすら面倒だし、万が一こけたとしても酔っているせいにすればいい……誰に言い訳するわけでもないが。誰にも伝わらない決心をして寮の廊下に続くドアを開けると、部屋と変わらぬ生温い空気が漂っていた。部屋が特別暑いわけではなかったようで、これでは外の気温も変わりやしないだろう。帰り道で汗が染み込んだであろうジーンズをそのまま履いてきたことを早くも後悔した。


 

 外は生温い空気が満ちているものの、乾いた風が多少なりとも体感温度を下げてくれる。気持ちいいとは程遠いが、外を歩くにはまあまあ及第点だろうか。薬局までは程遠くないしさっさと歩いてしまおう、そして何よりも早く明日の安寧を手に入れたい。

 十歩ほど歩くごとに、空気を柔く照らす街灯とすれ違う。光が身体に触れるたびに跳ねてみたり、わざとらしくステップを踏んでみたり、ミュージカルのワンシーンのようにくるくる回りながら進んでみたり。

 夜の波をくぐるように鼻歌を口ずさんでいると突如、フラッシュを目の前で焚かれたような光が襲う。それほど眩しくて目も開けられないような夜には似つかわしくない光だった。耳に光るリングピアスが光を反射したのも分かるくらい。

 ——バリバリッ、ドガァァン!

「うわっ!」

 スポットライトの下で棒立ちになっていると、追い討ちをかけるように裂けるような轟音と地震かと思うほどの強い揺れが襲った。思いがけず足元がふらついて倒れる、と目をぎゅっと瞑った。

「あっ……ぶねえ!」

 後ろから焦りを滲ませた荒い足音と声が聞こえたと思った瞬間、ジーンズのベルトを思い切り引っ張られた。その衝撃で少しよろけたが、どうにか怪我せずには済んだようだ。

「ったく何やってんですか。雷にビビってこけるとか」

「お前が助けてくれたからおかげさまで無事だがな……」

 その一言余計な物言いで振り向かなくとも誰か分かる。生意気で反抗心が強くて、でも笑った顔はなんとなく悪くない俺の後輩。ワードだ。

「あ、また光った」

「あっ、おい急に離すなよ!」

「多分これ一雨ありますよ、早くどっかで雨宿りしないと」

 ぱっと俺を支えていた手を離されてバランスをまた崩すが、ワードの言葉で地面を踏み締めた。

 おいちょっと前の俺、どんなに気持ち悪くてもスニーカーだけはちゃんと履いたほうがいいぞと今すぐ伝えてやりたい。さもないと雨に降られる挙句後輩に醜態を晒すことになるぞ、とも付け加えて。


 

 走る俺たちを追いかけるように何度も何度も轟音が響き、ついにはワードの言った通り大きな雨粒がはたはたと落ちてきた。やっと雨宿りできる場所を見つけた時には全身は大粒の雨でびしょ濡れになっていた。それはワードも同様で、出会った頃より少し伸びた髪が顔に張り付くのを鬱陶しそうにしながらかき上げている。髪の束の先に縋る雨の名残が街灯の反射で光って、なんとなくその雫が落ちる様を見ているとワードがちらりとこっちを見た。

「乳首透けてますよ」

「余計なお世話だよ」

 一瞬でもさっきの光景を美しいと思ってしまった俺が馬鹿だった。

「それにしてもお前、割と筋力あるのか?よく俺の身体支えられたな」

「まあ多少は鍛えてますからね。今日も走ってたとこですし」

「へえ?今までバスケットボール以上に重いもの持ってるイメージ無かったから意外だな」

「深窓の令嬢でもないんだからそんなことあるわけないでしょ」

 まあさすがに片手では重かったけど、と手首を軽くマッサージしながら軽く口角を上げた。全く口の減らない後輩を持ったものだ、薬局で会ったあいつはまさか幻か何かだろうか——

「あ! 薬局! 忘れてた!」

「薬局? この時間じゃ閉まってるでしょ」

「……あ」

 よく考えてみれば今は夜も遅く、薬局の閉店時間は覚えていないが今外は土砂降りでしばらく動けない、となるとそこから導き出される答えは簡単だ。

「あ〜クッソ、俺の明日が……」

 くつくつと笑う声が隣から聞こえる。ああ笑うがいいさ、踏んだり蹴ったりな頭の悪いバカな先輩を。

 そんな中でも依然として雷は鳴り続けていた。先ほどよりは遠くなったものの、威力は衰えず未だ凄まじいことをビリビリと感じる。

「たまったもんじゃないですね、雷にビビったせいでこけそうになって後輩に助けられた上に目的の薬局の閉店時間も忘れたなんて、雨にも降られたし」

「改めて言葉にされると刺さるからやめてくれ……」

「同情してるんですよ」

 面白がっていることは確かだがここで突っ込んだところでまたひょいと言葉を返されるに違いない。こいつは頭がいいからこれからも勝てることはないだろう。

「メーカラー様とラーマスラ、追いかけっこでもしてるんですかね。にしては激しすぎますけど」

「俺はその追いかけっこのとばっちりを受けたと?」

「まあ薬局に関しては自業自得ですけど」

「同情するフリぐらいもっと上手くやれよ」

「斧は降ってこなくてよかったじゃないですか。死なずに済んで」

「今にも直撃しそうなぐらい近かったけどな」

 この国の雷にまつわる言い伝えの通り、降ってきたのが本当に斧だったら頬くらいは掠っていたかもしれないと考えると寒気がする。実際は汗と身体に張り付いたシャツとジーンズが冷えてきただけだろうが。

「そういえば知ってるか?他の国にも雷の神様っているんだぞ」

「まあそれぐらいなら、なんとなくですけど」

「日本にはな、雷様ってのがいるらしいんだよ。なんか有名な絵あんだろ、風神と雷神だったか?」

「ああ、それなら知ってます。右と左で対になってるやつですよね」

 頭のいいワードならもっと詳しく知っていると思っていたが、珍しくあやふやな言い方が口から出た。ということは周りと変わらないくらいの知識しか持ち合わせていないのだろう。

「日本の民間伝承の神様なんだよ、雷様って」

「へえ、変な神様がいっぱいいるってのは知ってますけど普通の神様もいるんですね」

「日本に失礼だとは思わんのかね君は」

「八百万……ですっけ?そんなにいたら変な神様の方が多いでしょ、多分」

 なかなかの偏見をお持ちのようだ。とはいえ俺も日本の神に詳しいわけでは全くないし、むしろ普通の人より知らないくらいかもしれない。

「……まあ、その雷様が雷と一緒に落ちてきて人間のへそを取るらしいんだよ」

「へそですか? ……凹んでますけどどうやって取るんです」

 やっぱり変な神様じゃないですか、とワードが着ているランニングウェアーをこちらに見せるようにぺらりとめくると、薄い腹と形の整った綺麗なへそが姿を見せた。多少は鍛えてますからと嘯いていたものの、体質なのか腹筋が割れているわけではなく腹は薄い。街灯の光だけで照らされて影がひどく鮮明で、またなんとなく目を奪われた。

「変態」

「誰がだ! ……ん、まあよく分からんがへそを取るんだと。面白くないか?」

「まあこっちの伝承と違いすぎて軽くカルチャーショックは受けてますね」

 咳払いをして話を続けると、ワードはそれ以上視線を詮索してくることはなかった。

「そもそもなんでそんなこと知ってるんですか?」

「いや、図書館で課題やってた時に息抜きに本を読んでたんだよ」

「やってるフリも大変ですね」

「一旦静かにして下さーい。まあそれでその本が世界の民間伝承の本だったんだよ。適当に開いたページがそれでブライトと何だこれって言ってたの思い出してさ」

「それにしてもよく覚えてましたね」

「まあインパクトは強かったからなあ、なんせへそ取られるんだぞ?」

 さっきのワードの真似をして濡れそぼったシャツをめくってみたがこっちを見向きもしていない。悪かったな見応えのない腹で。……おかしいな、俺先輩のはずなんだが舐められてないか?

「雷、結構遠くなりましたね」

 結局無視か、まあ俺はこんなことでへそを曲げるような気の小さい先輩ではないから平気だが。

 ワードの言った通り、さっきまで轟音を響かせていた雷は空の彼方と言っていいほどに遠くなっていた。雨もまた、いつの間にか早歩きすれば気にならないくらいの小雨に変わっていた。

「ああ、じゃあそろそろ帰るかな。お前はどうする?」

「もう少し走ってから帰ります。酔っ払いには酷でしょうが、一人で頑張って帰って下さいね」

「もうしっかり醒めたわ。お前も気をつけろよ」

「はい」

 じゃあまた、と律儀に手を合わせてランニングへと戻るべく走り始めた時、ワードが提げていたミニショルダーから何かが落ちる。

 ——暗がりでも感触で大抵それが何かは分かるものだ。そもそもこんな天気の不安定な時期に、これを持っていない方が珍しい。ワードはきちんとした奴だから、天候の変化を見越して用意していたんだろう。

「おいワード、落としたぞ」

「え? ああ、ありがとう、ございます……」

 振り返ったと同時に発せられる言葉がデクレッシェンドしていく。……最後の二文字の『ます』に至ってはほぼ聞こえないくらい。

 逆光で顔はよく見えないがその中でも窺える表情はすぐに言葉で表現できないものだった。強いて言うなら『複雑』とでも言おうか。ばつが悪いような、恥ずかしがっているような、怒っているような。

「……お前、折り畳み傘持ってたのに帰らなかったのか?」

「うっさい! バカ!」

「うおっ!?」

 恩をそのまま仇で返されるように顔面に折り畳み傘という名の武器が投げつけられた。間一髪で急所へのダメージは避けられたものの、額に見事クリーンヒットし身体がよろけた。

「……あいつ、可愛いとこあるじゃねえか」

 少しだけ仲良くなった気がするのは俺だけだろうか。赤くなり始めた額をさすりながら、全力で走るワードの後を追いかけた。

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