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いつかどこかのまぶしい日

​ヨロー砂漠

 せんせいあのね

 これは僕のパパと父ちゃんから聞いた2人のお話です。


 

***


 

「え?俺たちそもそも付き合ってたんですか?」

 同性婚が異性間のそれと法律上でも同じものとなって1週間。家族がいつワードを連れて挨拶に来るのかと早速からかってくる。そんな事をワードに伝えたら返ってきたのはこの台詞だった。ほぼ1年毎日のように連絡をとり、口付けあい、それ以上のことも数え切れないほどしてきて、将来も自然と考えるようになった相手にこんな事を言われ、真白になりゆく頭の中で走馬灯のように2人の思い出が流れて行った。

 初めて話したときの怒った顔、お守りを結んでやったときの力が抜けたような笑顔。出会ってから3年目の夏、夢に見るほど恋焦がれていたワードと自分の部屋でキスを交わして恋人同士になったと思っていたのは、もしかしたらそれこそ夢だったのかもしれない…。

(いやそんな訳ないだろ)

「えっいやだって」

 どうにか言葉を捻り出そうとする俺をワードが少し目を細めながら見やる。その目線を真っ直ぐ迎え入れられず飛行機の座席についたポケットあたりに視線を落として続けた。確かに初めてキスした日以来も、付き合おうとか恋人になってくれとかそういった言葉は口にしてはいなかった。だけど。

 「キスとか、してるだろ…」

 というよりも愛しあってるだろ?俺たち。そんな事を考えながら何も答えないワードをチラリと見上げると、もう既に目線は俺に無く、さらっとした無表情で翼に切り裂かれていく雲を眺めているのが窓の反射で見える。出会ってから色々なところへ出かけてきた俺たちだが、初めて一緒に来た海外は日本となった。お互い所属したゼミが同じで、教授の退任の年となる今年はいつもその辺で済ます課外旅行が、卒業生も参加の上豪華に海外へ行くことに決定されたのだ。4年生になったワードは早々に就職先を決めていたので、その祝いも兼ねて日本を楽しもうとベッドの中で話したのはつい先週のことなのに。あの時枕に肘を立てて照れ臭そうに微笑んでいたワードはなんだったんだ?

「じゃあ先輩は今まで付き合っていない男とキスとかしてたってことです」

 わかりました?そんな風に言うワードの後ろからタイヤが地平線と出会った轟音が響いてくる。人々が荷物を取り出すざわめきが機内に満ちる頃となっても、俺だけが硬い座席に縫い付けられたように動けずにいた。

 

 ワードの台詞から受けた衝撃を噛み砕けないまま、入国審査を抜け、『秋風』と呼ばれる涼やかな日本の風に吹かれながら1日目のフィールドワークを終え、ホテルに戻っての宴会まで過ごしてしまった。同室のワードは自分があんな事を言った癖に何から何までいつも通りで、夜眠る時は俺の胸に頬を寄せて丸まった。微かな重みにいつもなら心地よさを感じるのに、今は緊張でワードの髪を撫でる手もぎこちない。

「なぁワード」

「はい?」

「俺のこと好きじゃないのか?」

 ベッドの上でようやく勇気を出して聞いた質問は

「は?バカじゃないの?」

 俺は好きじゃない人とはこんな事できませんよ。

 バッサリと切り捨てられた。

 呆れ半分、拗ねた気持ち半分の声色で返しながら頬を擦り付けてくるワードに、状況も忘れて目尻が下がる。いつだって、例え口も聞かないような喧嘩をしたときだってワードを可愛いと思う気持ちがなくなったことはない事実を不意に実感した。こんなふうに彼を想えることの幸福感が足先から立ち昇って来るのがわかる。

「じゃあなんで付き合ってないなんて言うんだよ?」

 ほっとして出た自分の声が夜を匂わせる甘さを含んでいるのを感じつつワードに問いかけた。髪から輪郭へと滑り落ちた俺の手をくすぐったそうによけながら、ワードが答える。

「さぁ?自分で考えたらどうですか?」

 器用に片方あがった眉毛の弧が綺麗なこと。だけれどその綺麗さを持ってこの会話は打ち切られてしまい、この3日間蒸し返されることは許されなかった。


 

***


 

「じゃあこれから自由行動です。16時の集合に遅れないよう」

 ゼミ長の言葉でゼミ生が三々五々散らばっていく。同級生で唯一同じゼミのオークは、俺と先輩に気を使ったのか早々に後輩と去って行ってしまった。

「なぁ湖の奥の方行ってみようぜ」

 オークの背中を見送る俺にかけられた先輩の言葉に、頷いて歩き出す。

 最終日の行程は教授がかねてから行きたいと思っていたという『恐山』探索だけだった。日本の北方にあるこの山は古くから死者への供養の場とされており、冬はその雪深さに閉山され、死人を出すような酷暑の夏であっても涼しさを保っているという。午前中は全員でツアーに参加し、風光明媚と言って差し支えないであろう場所に点在する地蔵や風車を見ていき、それにまつわる様々な民話を聞いた。

「お、日本の狐3匹目」

 湖へ繋がる坂道を降りながら見つけた狐に先輩がレンズを向ける。最近新調したスリムなフィルムカメラを構える姿を見るたびにかっこいいなと思ってしまう。もちろん、造形的に彼よりも優れている人はいくらでもいるだろう。優しいけれど、すごく良い人かと言われたら出会った当初を思い出して判断に困るし。でもきっとこれから何かあって離れるとしても、俺の魂には一生この人との思い出が混ざり合ってもう元の1人の人間として分けることはできないと確信している。それが怖くて仕方がなかった。

『なんで付き合ってないなんて言うんだよ』

 今は絞りをいじる先輩の細長い指が俺の髪を撫ぜていた時に聞かれた質問を頭の中で思い起こす。

(あなたに言ってもらいたいからです)

 口に出してしまえば、自分が日々考えている全ての事を引きずり出されそうで言えなかった。先輩への気持ちを自覚してから、自分の人生初めてのいわゆる初恋に俺は慄いてしまい、実は手当たり次第にありとあらゆる恋愛物語を摂取した。普段は聞き流していたマプランの愚痴やエムの惚気も心の中では真剣に聞いていたし、姉の本棚にある漫画も帰省の度に読み耽った。そうして勉強した結果、得られた知識のうちの1つ。それは『先に惚れた方が負け』という言葉だ。いつからお互い好きだった?とか、俺のどこが好き?なんてむず痒い会話は100年経たないと出来そうにないからどちらが先に惚れたかわからないし、ただの先輩後輩時代に聞いてきた限りでは先輩は何人かの女性と付き合ったことがあるという話しだったので、どれだけ幸せな時間を過ごしてもふとその過去を考えて不安になってしまうのだ。だから、せめて付き合おうくらいはハッキリ先輩から言って欲しかった。

「あの狐ツンとしててワードみたい。可愛い」

 そう言いながら普段よりもじっと目を覗き込まれるのを感じる。この旅行中、付き合っていないと言ってから先輩はこうして俺に探りを入れてくる。

「先輩はあの岩に似てます」

「せめて動物にしろよ」

 間髪入れずに返すと、大袈裟に目を見開いて抗議された。

(付き合ってくださいって言ってくれたらそうします)

 そんなことは言えないまま再び歩き出す。そもそも核心は伝えてないにしろ、何故こんなにわかりやすくしているのにその一言が彼から出てこないのか?好きな人以外とは触れ合わないと伝えたところで、そうだよな俺もだよ。付き合おう。で終わるはずだったのに。

「滑りやすいかも。気をつけろよ」

 水辺に近づくに連れて木に覆われて細くなっていく道を進みながら、先輩が手を差し出した。その手を取りつつ、人気も人工的な雰囲気もなくなっていく風景と、なかなか自分の考える展開に運ばない会話に不安になっていた。

「誰もいませんね」

「さっきガイドさんが写真の穴場って教えてくれたからな」

 最後に大人ギリギリ通り抜けられる狭処をくぐり抜けたらエメラルドグリーンの海が広がっていた。まるでそれはいきなり違う惑星、あるいは現世から離れて異世界に来てしまったような光景で、無意識に息が漏れるのを感じた。裏手にある湖の硫黄臭や観光客の声は木々に阻まれ届かず、穏やかな潮の香りとどこまでも白い砂浜を撫ぜる波の音だけがこの景色を包んでいる。

「この旅行で気づいたんだが」

 引き込まれるように海を見つめていたところに話し掛けられて先輩のいる左側を見ると、どこか悲しげな顔でこちらを見る彼がいた。

「俺はワードと出会う前どうやって生きてたか思い出せないよ」

 そう告げる先輩の目がどんどん潤んでいくので、酷く慌ててしまった。

「なんでそんな…泣かなくてもいいでしょ」

 どうしたら良いかわからず背中をさすると、鼻をすすりながら先輩が続けた。

「ずっと恋人だと思ってたやつに恋人じゃないって言われて泣かないほど図太くないんだよ」

 そのセリフを聞いて、今まで張っていた意地がどんどん崩れていくのを感じた。でも、それでも最後の抵抗でボソボソとした声で答えてしまう。

「だって先輩言ってくれてないじゃないですか」

 外に出すと余計に子供じみた考えで、こっちは羞恥心で涙がにじむのを感じる。

「付き合ってくれって言われたかったんです」

 もうほとんど顎が胸につきそうなぐらい俯いて、この3日間先輩を悩ませたチャチな考えを打ち明けた。

1回2回3回波が打ち寄せても何も返さない先輩を勇気を出して見上げた矢先、崩れ落ちるように彼はしゃがみ込んだ。

「何、え、なんだよ!言えよ!」

 安堵と驚きと呆れが1秒毎に顔の表面に出て来ているようだった。

「言わせたら意味ないと思ったんです。先輩のタイミングで心から言って欲しかったんですよ」

 すみません。

 自分も恥ずかしさでしゃがみながら謝った。そんな俺を先輩は唇を尖らせて見ている。

「それなら俺もワードに告白して欲しかった」

 拗ねた声で言われて、思わず反論してしまう。

「いや絶対今思いつきましたよね?」

「そんなことない」

「じゃあいつからですか?俺は1年前のあの日から思ってました」

「俺だってそうですー」

「嘘でしょ」

 いつも通りの軽口の応酬をしてしまい、内心落ち込んでしまう。

(せっかく恥ずかしい思いして言ったのに)

「もう良いですよじゃあ今日から恋…」

「いやこれで決めよう」

 恋人ということで。と続けようとした言葉を遮った先輩が足を投げ出して座り込んだまま片足をひらひらと上げた。

「なんですか?」

 意味を図かねて聞くと得意げに答えた。

「今日お坊さんが言ってたろ。日本では靴を投げて天気を占うって。表なら晴れ、裏なら雨って」

 砂を払って立ち上がりながら、先輩がかかとを靴から抜く。

「じゃあ表なら先輩が告白してくれるんですか」

 1年間の希望が、なんだか遊戯の中で決められそうになるのを少し残念に思いながらたずねる。

「いや、俺たちはもう付き合ってるんだからプロポーズだろ」

 目を見張って先輩を振り返ると、彼も顔を赤くしながらこちらを見た。


 

***


 

 プロポーズだろと自分で言っておいて、顔が燃えるほど熱くなるのを感じた。

 ワードは素直に提案を飲んでくれたのか、思考が止まっているのか何も言わずに俺を見ている。表が出ても、うらが出ても俺たちが将来を共にするのを決めてしまっているのをワードは気づいているだろうか。ワードに出会う前の人生が思い出せないと言った言葉は、この旅行中に形になっただけで、気持ちとしてはずっと前から脳みその奥深くに渦巻いていた。自分は言葉がうまい方では無いから、きっと他の誰かにこの心を受け渡したらもっと良い言葉でワードを安心させていたんだろう。付き合おうも、恋人にしてくれもすぐにその必要に気づいて言えるんだと思う。だからこんなズルい手でタイミングを作り出す自分を許して欲しい。

「俺が表、ワードが裏な」

 かかとを抜いた足をプラプラと揺らし、固まっているワードを置き去りに3mほど先にある岩の手前に狙いを定める。

「待って!」

 振り上げたところで聞こえた静止のせいで、靴は大きく狙いをそれて木にひっかかってしまった。かかとが地面に垂直となって、靴の向きは側面を向いていた。

「横向きはどうするんでしたっけ?」

 しばらく2人でポカンとはるか高くにある靴を眺めていたが、恐る恐るという雰囲気でワードがたずねる。

「もう一度だろ」

 問題はどうやってもう一度やるかだ。

「えーそれは占いっぽく無いじゃ無いですか」

 ワードがこちらを見た。

「そうか?」

 占いに詳しく無いから、“っぽい”の判断がつかない。

「なので、ここからは実力でいきましょう」

「実力?」

 企むように唇の端をあげるワードのそのレアな表情に自分の口元が緩むのを感じた。

「あの靴を落とした方が、相手からプロポーズを受け取れるんです」

 じゃあヨーイドン!

「まっ!」

 説明を言い終わるのと同時に駆け出して行ったワードを、靴を片方履いたまま追いかける。1歩2歩3歩走ったところで、雨粒が頬を打った。

 見える空はどこまでも晴れ、雲の無い青からその金色の粒は落ちてきていた。

 輝きは妹が幼い頃遊んでいたビーズを思わせて、その眩しさに目を細める。

 目の前のワードは髪を靡かせながらその幾重にも反射して煌く雨の中を走っている。その光景をスローモーションで目に焼き付けながら、頭を締め付けるような初めての感情に歯を食いしばる。好きだ、愛してる、幸せでいて欲しい、言葉にしてしまえばその3つに分けられてしまうようなこの気持ちは、それでも言葉に出来ない。自分だけのものにしたいと酷い欲望を持ちながら、それとは相反して自由でいて欲しいと希う。生まれ変わったら同じ血を分けた兄弟になりたいとも思うし、やっぱり恋人になりたいとも思う。

「ワード!ワード!」

 呼びかけて、手を引いて、勢いを殺しきれずに砂浜に転がる。ちょっと怒ったような、でも面白がっているような表情。いつも笑って欲しいとも思うし、負も正もいろんな表情を見たいとも思う。

「ワード」

 転がったまま見つめて名前を呼べば、真っ直ぐこちらを見返してくれる。砂と髪を顔から払ってゆっくり顔を近づければ、あとはいつも通り、唇と唇が吸い寄せられて一つになる。啄めばついばむほど気持ちが伝わるような気がして、夢中で口付けた。一瞬だったような、永遠だったようなキスを名残り惜しく終えて顔を離すとワードが俺の髪をかきあげながらささやいた。

「俺たちの結婚は天に祝福されているみたいですよ?」

“日本ではこういう雨のこと狐の嫁入りって言うんです”




 

 以上がパパと父ちゃんから聞いた2人の結婚のなれ初めです。

 この後すごくがんばってクツを木から落としたのは良いけれど、がんばりすぎてどちらが落としたかわからなくなってしまったので、2人ともお互いにプロポーズしたと言ってました。この話をパパがしてくれた横で、父ちゃんはすごくはずかしそうにしていたので、きっと父ちゃんもてれちゃったんだと思います。真っ赤っかな顔でクツを飛ばして占うのはおぎょうぎ良く無いからやっちゃダメだよ、と言われましたが、パパと父ちゃんが時々これをしてるのを僕は知っています。

 この宿題の感想は、海でチューするのはすごくドラマチックだけど、自分の親がしているところを考えるとちょっと照れるなぁと思いました。でも僕もいつかどこかでこんなまぶしいきれいな日に出会いたいなと思いました。

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